シーボルトと精神の特異点
最近思った事などを適当に色々書いていく。最近といっても少し前だけど、国立歴史民俗博物館の国際企画展示である「よみがえれ!シーボルトの日本歴史博物館」というのを見に行ってきた。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは江戸時代後期に来日したオランダ商館付きのドイツ人医師である。このシーボルト展はシーボルトの没後150年を記念して、シーボルトがドイツに持ち帰ったコレクションの一部を日本に里帰りさせ展示するというものである。シーボルトが日本の文化に触れ、日本に対して抱いた想いやどんなものを収集したのかを見るのは日本の文化を知る上でもおもしろかった。シーボルトの優れていた点としてNIPPONや日本動物誌、日本植物誌の刊行による欧米における日本学の発展だけでなく、文化や民族を博物館展示という方法で紹介した点にもあると思う。展示品のジャンルも多岐に及んでいて良かった。個人的に好きだったのはアムステルダムにおける展示風景の構成かな。その中には花鳥図衝立や阿弥陀如来像、蛇身弁財天像、麒麟香炉などが展示されていたのだけれども、そこにはやはり多神教の文化というものがある。シーボルトはそれを万神殿(パンテオン)と表現した。これには文化に対する深い理解と好意が感じられた。
最近のニュースで話題の豊洲移転問題。石原元都知事が、東京は伏魔殿だといったのには笑った。お前もその魔の一部だろと。笑えないのは豊洲の問題である。東京ガス工場跡地は過去に有毒ガスによって汚染されていた歴史がある。そのため使えない土地となっていた。その誰も買わない土地を利権のために買ったのが石原だ。そんな汚染された土地に築地を移転しようっていうんだから相当イかれてる。自分もそこの食べ物を食べるかもしれないのに。工場跡地の土は汚染されている。そのため専門家達が盛り土をしなければならないと言ったはずなのに、その盛り土さえもできていない。盛り土があっても嫌なのにな(笑)まあ、盛り土が汚染土で盛られていなかっただけ幾分かマシか。放射脳とか言ってる奴らがいるけど、そんなこと言っている奴らこそ脳みそがやられてるわ。今でも原発からは放射能が漏れ続けてる。その漏れを塞ごうとした凍土壁も溶けてる。放射能で汚染された魚を海からとってきて、毒ガスで汚染された土地で卸すと。多分次の人間の進化はポケモンのベトベトンみたくなってるよ。最高。
早くパンテオンVS伏魔殿やろうぜ。
シーボルト展の話に戻ると、気に入った展示品としては幾何学文六角皿と釣瓶型虫かごが挙げられる。幾何学文六角皿の模様は神聖幾何学でもあるフラワーオブライフそのものだった。誰が何を想って造ったのかがとても気になる。シーボルトが150年以上前に海を越えて母国に持ち帰り、その約150年後に日本に再び戻されて博物館に展示され、私に記事にされ、その記事はあなたに読まれるていると。その皿は時空を超えてどこまで行くのだろうか。いつ割れるのだろうか。まあ、皿だけではないのだけれども。何とも不思議である。
私がドラえもんのひみつ道具で欲しいものはタイムテレビである。この世の不思議を貪りたい。暇人限定だけれども、みんなも自分のお気に入りのひみつ道具でも見つけてみたらどうかな。
ひみつ道具の一覧 - ドラえもんのひみつ道具を一つもらえるとしたら
次に釣瓶型虫籠について。簡単に言うなら、持ち手の付いた虫かごである。比較的シンプルな虫籠が色んな意味で綺麗だった。特に目立って豪華というわけではなく、竹を編んだり組んだりして作られている。その籠に蛍や鈴虫を入れて鑑賞して楽しむと。見た目だけでなく、精神的にも風流であるというか風雅であると感じた。今の時代、鈴虫の音色などを楽しもうものなら「虫の鳴き声聞いて何が楽しいの?ただの虫でしょ。きもっ」という人が多いかもしれない。ただの虫。まあ、間違ってはない。彼または彼女は、鈴虫という言葉も知っているし、その鳴き声や秋という言葉も当然知っているだろう。感性や感覚というものは人に伝えたりすることはとても難しい。ましてや雰囲気や空間、「場」というものを楽しむ「心」ともなるとほぼ不可能である。
ここで例え話を一つ。ある老年の夫婦がいました。夫は秋になると毎年、鈴虫を買ってきます。それを家に置くのです。私(妻)はそれが嫌でたまりませんでした。なぜ鈴虫の鳴き声をわざわざ聞くのかわからなかったからです。ある時、私は聞きました。鈴虫の鳴き声を聞いて何が良いのでしょうかと。すると夫は「この音色が聞こえないのか。」とだけ答えました。ええ、もちろん聞こえていますとも。しかしその「良さ」というものは私にはさっぱり見当もつきません。そんな夫も亡くなってしまいもうこの世にはいません。ある時、道を歩いていると偶然にも鈴虫の鳴き声が聞こえてきました。そこで私は思うわけです。ああ、もう秋かと。そして気付くのです。あの時あの人が聞いていた鈴虫の鳴き声はこの音色だったんだと。終わり。
同じ音なのに全く別のものに感じると。これは共感覚の一種ともいえるのかな。音と記憶(情景)との連動というか。そしてこれは音だけじゃなく人間の知覚するものすべてで起こり得ることだと思う。こういった現象(といっても一纏めにしていいものかどうかわからないが)に名前はついてるのかな。例えば、偶然鈴虫の音を聞いた場所が夫と初めて出会った場所で、その日がたまたま結婚記念日だったとかいうのならその状況というか場にわかりやすい共時性(シンクロニシティ)があったと言えるのだろうけど、同じ音が全く別のものに感じる事と共時性は違うし。「鈴虫の音色」を知っているようで実は知らなかったという意味ではすごい狭い意味だけれど無知の知と言えなくもないし。何かぴったりの言葉を知っていたら教えてほしい。同じものが全く違うものに感じるという点ではジャメヴともいえるのかな。教えてほしいと書いたところで思い出した言葉。
そして、妻が感じたであろう「ああ、こういうことか」という感覚を気付きと呼ぶ。そしてそれが爆裂したものが悟りなのかなと思う。共時性に関係するちょっと良い言葉に、作家であるアーサー・ケストラーの造語に「図書館の天使」という言葉がある。これは調べものをしている時に、ちょうど、必要な情報が、思い通りに手に入る幸運をもたらす未知の力のことである。
上の話を本当は、秋じゃなくて夏で説明しようかなと思ったけど辞めた。けど書きたいから書くけど、扇風機に向かって「あ゛~」ってやるのって何か良いよね。けどこの「何か」っていうのは人に教えることはできないんだ。馬鹿みたいだからやったことないって人も、もしかしたらいるのかもしれない。人生で一回くらいはやってみても良いんじゃないかな。やってみても何も感じないかもしれない。けどそれで良い。いつかその何かがわかるときがきっとくるはずだ。扇風機。今、扇風機は笑っている。しかし夏も、もう終わりだ。読書の秋か、食欲の秋か。ゲームの秋かな。
ここで私の好きな句を一つ。
おもしろき こともなき人の世を 住みなしものは 心なりけり
これは高杉晋作が詠んだとされる前半「面白きこともなき人の世に」と野村望東尼による後半とで成立している。二人の関係性も何か良い。「を」と「に」の違いなど色々指摘されるがそんなことはどうでもいいくらいこの句が好きだ。
釣瓶型虫籠の話に戻ると、釣瓶型虫籠には持ち手がついている。これはきっとどこかに掛けたりする意味もあったのだろうけど、買ってからそのまま持ち帰りやすいようにだと思う。江戸時代には虫売りという職業が実際にあったのである。今でもあるのかもしれないけど。
江戸の街も良いし、虫売りって職業も何か良いよね。その何かが溢れていたのが江戸時代だ。江戸時代といっても長いから一括りにするとあまりよくないのかもしれないけれど、江戸時代の幸福度は人類史上稀に見るくらい高かったといわれている。最大多数の最大幸福。社会全体としてみた時に、王様とその臣下達の幸福度は高かったとしよう。しかし平民の幸福度は極めて低いと。こういった場合、社会としての幸福度は低いわけである。江戸時代の人々は、社会としてみても幸福度が高かったと。何故なのだろうか。これは今は失われつつある高度な精神性を有していたからである。それに加え、人と人との距離が近かったと。物理的にも精神的にも。人と人との距離というのは、現在の東京都の一番人口密度の高い地域で1㎢あたり20000人であるが、江戸では1㎢あたり60000人の人々が生活していた。そしてそういった状況の中で養われていったのが高度な精神性である。
高度な精神性の例として「粋」という美的観念がある。これは江戸の町人文化の中で育まれていったものである。粋というのもわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。こち亀が終わったから書くけど、両さんとかも粋が何かを分かっている人である。私自身は粋な振る舞いはできないが、粋な人は見たらわかる。まあ本当に深いところまでわかっていたら粋な振る舞いの一つでもしているのだろうけど。
粋にも、すいと、いきがある。これは日本の日本独自の文化と共に生まれた言葉なので、正確に他の言語に訳すことはできない。だからといって外国人が粋というものが分からないわけではないし、こいつ粋だし、かっこいいなってなる人もいる。私が言いたいのは、文化として見受けられるのは日本だけであるという点だ。
かっこよさにも色々あると思う。例えば、良い車に乗って良い時計をして良い女を連れて歩くことがかっこいいと思う人もいるだろう。もちろんそれもかっこいいのかもしれない。しかし「粋」とはおなじ「かっこよさ」でもベクトルの方向が異なるわけである。
粋なかっこよさにも立ち振る舞いだとか生き方だとか色々あると思う。ハンドメイドでモノを作る立場の人なら、そのモノが壊れた時にはじめてこんなところまで作りこまれていたんだとわかるものとか。これはものづくりの粋だと思う。壊れた時にしかわからない作りこみなんて意味ないし、それって無駄でしょという人には無駄でしかない。
私が粋だし、かっこいいなと思うのが「言葉遊び」である。本当に粋な人同士ならば言葉なんて必要ないのだろうけど。言葉遊びの面白いところは言葉を知らなければできないのはもちろんだが、連想や読解といった「心」がないとできないところにある。
私の結構気に入っているのは、昔同じ部屋に住んでたスウェーデン人のロビンフッドが言ったもの。
あるとき部屋に女の子が来て驚きながらこう言った。
「You have a fan !!」
そしてロビンフッドはこう言うわけだ。
「I have the biggest fun!!」
女の子の部屋には扇風機がないのだけれど、私たちの部屋にはあるのをみて、あなた扇風機持っているのね!と女の子は言ってきたわけだ。そしてロビンフッドはfan(扇風機)とfun(楽しさ、戯れ)を掛けて、最上級も使い、ドヤ顔と口説きも含めて意訳するなら「俺は超面白いぜ!」みたいな感じかな。まあとにかくふざけたやつだってことだ。このジョークは自画自賛の具合と瞬発力が高かったから結構気に入っている。
只のダジャレじゃねえか!くだらなねえ!と思う人もいるかもしれない。書いてて思ったけど、全く持ってそのとおりである。けど、私は好きだ。
くだらない洒落、駄洒落。江戸は洒落の文化である。駄洒落って言葉は誰が最初に言ったのかというのを考えた時に、それはきっと洒落を極めしもの「洒落マスター」であると考える。洒落を極めたからこそ駄洒落が分かるのだ。しかし、洒落マスターの言う駄洒落は果たして駄洒落なのか。
江戸には「洒落言葉」というものもあった。これは当時の文化とも融合しているものも多いので、真意というのは実際に使っていた人たちにしかわからないであろう。調べている中で現代でも使えそうなものがあった。
死んだ猫の仔。
ニャンともいわない→何とも言わない
という風に使うようである。しかし使えそうだと思った割に、実際に使うとなると案外厳しいのかもしれない。何も話さない人に対して「君って死んだ猫の仔みたいだね」と言ったとしよう。多分、ぶち殺すぞお前となると思う。仮に興味を持たれ、何ですかそれと聞かれてそこから説明するのもなかなか「野暮」である。
一番良いのはこいつわかりそうだなという美少女に言うことだ。
単純に「にゃあ」とだけ返してくれるだろう。
これがジャパニーズカルチャーの「萌え」である。
くそキモイ上に意味わからんというキッズのために解説してみると。
普通の人に言ったところで、何言ってんだこいつとなるわけである。
そこで洒落言葉などの高度な精神性を有していそうな美少女に言うと、
「君って死んだ猫の仔みたいだね(何とも言わないね)」
美少女「にゃあ(何か言わなきゃね)」
となるわけである。何が言いたかったのかというと、心の交わりである。
更にキモイうえに意味わからんというキッズにはブス美との交配券を進呈しよう。
キッズ「君って死んだ猫の仔みたいだね(何とも言わないね)」
ブス美「マジ意味わかんない。(好き。)」
萌えとはなんなのか。リアルな話をしよう。
私にはイギリス人の彼女がいた名はアミとでもしておこう。アミとはクラブで会って仲良くなった。そこから一緒に遊ぶようになったりした。その後しばらくして色々あり喧嘩してサヨナラしたわけだ。二人で会うことはなくなった。日本に帰る少し前に、二人で会うことになった。お別れセックスして、もう一生会うこともないかもね。みたいな感じであっさりバイバイ。帰りの空港でブロックした。その後、日本に帰ってきてアミのことも思い出すこともなかった。ある時、自分の書いていた日記を読み直した時があった。パラパラめくって読んでいると、英語で何かメッセージが書いてあった。アミからである。私の気付かないうちに書いていたのである。いつ書かれたのかは分からないが、書いていたところを想像すると何か良い。そして、その何か良いと感覚が一種の萌えだと私は思う。
この萌えというのも実際に正しい意味で使えているのかはわからない。一般化するにつれて、ただ好きだという意味でも使われているようだし。私の中では、好きに似てるんだけど少し違く、さらにちょっと深く、日本人らしさが混ざったものが萌えなのかなと思う。
まあ萌えなんて言葉、実際には使ったことないから知らないけど。
そして萌えには、蕩れというさらに一段階上をいく言葉がある。これは化物語に出てくる言葉であるが、この言葉くらいになると使いどころがあまりないのかな。
変態紳士への道のりは遠い。そしてきっと変態紳士にも言葉は必要ないのであろう。
助けて!
交通事故に遭い、燃え盛る自動車の中の人が言う「助けて!」と、私がFPSをやっているときに言う「助けて!(早くカバーしろ雑魚)」というのは言葉の重さや意味も全く異なるわけである。しかしどっちも助けてである。そんな当たり前のこと分かるわボケという人もいるかもしれない。しかし、そんな当たり前のこともわからない人もいる。
最近のニュースで、近鉄車掌の飛び降り事件というものがあった。この車掌は助けてとは言わなかった。
近畿日本鉄道の駅員が、遅延客対応中に制服を脱ぎ捨て、線路に飛び降り姿を消す|ニフティニュース
この事件に関するテレビのニュースの報道の仕方はとても疑問に感じる。そもそもテレビのニュース自体既にまともに機能してない上に不快なのだけれど、一応見ている。俗にまみれるために。そして近鉄の車掌が飛び降りる前に言った言葉は「俺だって人間なんだよ!!」である。
人間って何だろう。人間らしさとは。
日本人らしさとは日本古来の美的感覚、美意識などかな。上で書いた通り四季の移り変わりを楽しむ心だとか、粋、洒落、萌えなどの高度な精神性だと思う。あとは詫び寂びなど。そもそも、今のような大量生産大量消費大量廃棄というのはもともと日本にはなかったものである。もったいないというのも日本独自のもの。今の時代のもったいないというのはお金を使うときには使うくせに、ものを捨てるときには使わない。もちろん断捨離というものは必要なのだろうけど、ちょっとおかしい。西洋的な文化と混ざったことによる弊害かなと思う。
この画像はとても日本らしさが出ていて惹かれるものがある。
日本にしかない言葉に「木漏れ日」というものがある。日本の文学が好きな外国人たちは、この言葉に出会うとその美しさに感動するようだ。
異文化の翻訳できない単語11
11 Untranslatable Words From Other Cultures — Ella Frances Sanders
2番目のイタリア語:Culaccinoとかオシャレな感じがする。
意味はテーブルについた冷たいグラスの跡。
これを一語で表現できると。これは跡だけじゃなくて、その冷えたグラスの感じとか、誰といるのだろうとかいうところまで想像して完成するのかな。まあ、ただのテーブルについた冷たいグラスの跡なんだけど。
シーボルトの話に戻る。1828(文政11)年、シーボルトは日本国外への持ち出しが禁止されていた日本地図を持ち出そうとしたことが露見し、それにかかわった日本人も多く捕まることとなった。これをシーボルト事件と呼ぶ。このシーボルト事件に関しては、様々な憶測や諸説あるが、私はシーボルトはやはりスパイだったと思う。けどシーボルトがスパイで結果的に日本にとって良かったと思う。シーボルトの研究により日本学の発展そしてそれを通し、好意的な日本への関心を生むことにも繋がったから。シーボルトが1829年に国外追放され、再来日したのは1859年である。この間にシーボルトはNIPPONを分冊製本するわけである。そしてこのNIPPONには日本の地図が載っている。シーボルトが手に入れた禁制品の地図は押収されたはずなのに。まあどっか別の場所で手に入れたとかも考えられるけど。そして地図のほかに押収された押収品の多くはシーボルトにあっさり返却された。これには厳しかった検閲がまるで嘘のようだったので、シーボルト自身でさえ訝しがっていた。なんとこの事件を影で仲裁した人物がいたわけだ。こういうのも調べていくのも面白い。やはりいつの時代、どこにでも陰謀というものはあるのだなと。
最近よく見るニュースに蓮舫の二重国籍問題というものがある。この二重国籍というのは違法なわけだ。二十歳になった時点で、二年以内に国籍を選択しないと日本国籍を失うと。そして外国籍の離脱に努めなければならないという努力義務もある。義務を放棄した上に挙句に嘘までつきまくって、謝れば良いと思っているのが蓮舫。
日本にはスパイを取り締まる法律がない。まず、これもおかしい。国としてまともじゃない。スパイなんて007とかの映画の中の話でしょとかいう、色んな意味でハッピーな人もいるだろうけど、スパイっていうのはそこら中にいる。ここ数年以内の話だと思うんだけれど自衛官の奥さんが中国人で、スパイだったというニュースがあった気がして調べてみたけど見つからなかった。たしか空港で分かったとかそんな感じだった気がするんだけど勘違いかな。探してて見つけたのがこの記事。国際結婚っていいよね。お互いの文化の違いを受け入れつつ時を過ごすという。
自衛隊に600人の中国人妻、スパイに利用との専門家の指摘も―... - Record China
後はこういうのとかもかな。自衛官とか中国人とか幹部とかなんでもあり。海外でもスパイが捕まってるニュースもある。
自衛隊の現役大物幹部、ロシアへの機密情報漏洩に関与疑惑!警視庁が書類送検の動き | ビジネスジャーナル
諜報活動は何のためにやるのか。金?愛国心?知的好奇心?それとも万引き的なスリル??仕事だから?全部!
蓮舫が次世代スーパーコンピュータ開発の事業仕分けを行ったときの発言に「2位じゃダメなんですか?」というものがある。まあ、駄目だ。
現在は中国のスーパーコンピューター、神威太湖之光がTOP500では1位である。なぜ2位じゃダメなのか。科学というものは常に進化し続けるわけだ。そしてその進化の最先端にいるのがコンピュータ。そしてそれのスーパー凄いのがスーパーコンピュータ。
例えばPS4とゲームキューブ。どちらもゲーム機だ。しかし性能が違う。ゲームキューブは決してPS4に勝つことはできないのである。物理的などつき合いというのなら話は別だけど。蓮舫が言っているのはPS4が出ている時代に「PS2じゃダメなんですか?」と言ってるのだ。今はPS4でしかプレイできない最新ソフトで溢れている。どうする?PS2で良い?
まあ、そんな事業仕分けも数年前だ。蓮舫(PS2)はまだ現役。
嘘つきに期待51% 何を期待してるのだろう??
蓮舫代表に「期待」51% 本社世論調査、共産共闘には否定的 :日本経済新聞
書くの飽きてきた。
日本のスーパーコンピュータ「京」はどのくらい速いのか。
そして1秒間に地球上では約2人の人間が死んでいますと続きます。
1日に餓死する人の数は約24000人となります。
人間とは?命とは?
ここでコンピュータというか人工知能と関係している映画を二つ。最近見たわけじゃないけど、パッと頭に出てきたということはきっと面白かったはずだ。
イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密
この映画は主人公の天才数学者がコンピューターと人工知能の基礎理論を確立し、ナチスドイツの史上最強の暗号機エニグマを解読、連合軍を勝利に導くという話。天才数学者であるアラン・チューリングという人間もとても興味深い。この映画を見たら2位じゃダメなんですかとは言えなくなると思う。
次にトランセンデンス。これは宇宙人とか抜きにしたら近い未来に起こりうる可能性が一番高い話だったと思う。Wikiだと世界初の人工知能PINNを研究開発する量子コンピュータ科学者のウィル・キャスターとその妻エヴリンは、コンピューターが人間の能力を超えた世界を構築する為に、技術特異点(Singularity)への到達を目標に、感知コンピューティングシステムを開発していた。しかしそのさなか、ウィルは反テクノロジーを唱える過激派テロ組織RIFT(リフト)の凶弾に倒れてしまう。エヴリンは夫を救うべく、死の際にあったウィルの意識をPINNにアップロードする…となっている。私の記憶では、映画の序盤に意識とは何なのかわからないから自我なら利用できそうということで、ウィルの自我をマッピングって話だったと思う。だからアップロードしたのは自我だった気がする。見たのがだいぶ前で記憶が曖昧だから嘘ついてるかも。というか嘘!技術特異点というのは人工知能が人間を超えることで起こる事象である。ウィルの自我とスーパーコンピュータ京とインターネットが融合したあとに起きる話みたいな感じかな。特異点を過ぎるとテクノロジーの進化が加速するんだけどそれもいろいろ考えさせられる。実際に起きた場合は、人間には理解できない「本当」に意味不明なことが起こるだろう。一周回って「今」になるのかもしれないけど。
映画の話のついでに、最近見た映画について。映画館で観たのは二つ。
ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>
タートルズは前作の敵であるシュレッダーに加え、異次元とを繋ぐポータルから地球征服を企む悪の帝王クランゲが登場する。
ここでいうポータルは異世界に繋がる出入り口という意味で使われるわけだが、実際に存在するのだろうか。ジョン・アーチボルト・ホイーラーが1957年に命名した概念にワームホールというものがある。これはプロセスが科学的であるというだけでポータルと大した差はないと思う。
もう一つ似たような言葉にワープというものがある。そのワープを可能とするものが、ドラえもんのどこでもドアである。どこでもドアは空間歪曲型ワープというものが使われているらしい。そしてこの空間歪曲型ワープについてのWikiを読んでいたら、この原理はしばしば、紙自体を折り曲げて紙の上に書かれた2点を近づけるという例えで説明されるとなっている。以前、単語を知らず概念のみで次元を説明するのに使ったけど名前がついていたのか。下の記事にそれがちょっと書いてある。
脳と意識と目覚めと次元と進化と宇宙人 - plus-ultra’s diary
仮にドアを通るたびに、一度死んでいるとしたらというもの。これは自分とは何かと考えるのにも良いと思う。真我は神我で神我一体。梵我一如。
ワープという言葉は誰が最初に思い付いたのだろうか。ワープ、日本語で瞬間移動というのが連想された。テレポーテーション。多分最初は勘違いから始まったと思う。 女に見とれてる時に一瞬の間、目を離してしまったんだ。それがきっと始まり。
瞬間移動からの神隠しというものも連想された。ちょっとポータルっぽい。千と千尋的な。
神隠しというのはある時、人が忽然と消えてしまう現象のことだ。そんなのはありえないという人もいるだろう。ありえないなんてことはありえない。鋼の錬金術師に出てくるホムンクルス、グリードのセリフだ。この言葉も面白い。ありえないなんてことはありえないなんてことはありえないのである!
神隠しでいなくなった人々は、大抵の場合は神域(常世・幽世)に消えたと考えられた。
神域に迷い込むということ以外に人がいなくなった理由として考えられるものに、口減らしや間引きというものがある。これは村に人が増えすぎたり、子供を養えなくなったりしたら殺してしまったりすること。そして村の体裁や罪悪感などから守るために神様のせいにしちゃおうと。まあこれもきっとあっただろう。書いてて思い出したけど、まんが日本むかしばなしのうばすて山も良い話。
くそみたいなテレビやってないでこういうの素晴らしいものを放送した方が良いと思う。てかやれや!
神隠しなんてありえないという人には、上で書いたようなことが答えだ。次にそうじゃなかった場合。本当に神域に迷い込むことがあったのかということについて考えてみる。まず、神域というものが存在するのかどうか。これは私は存在すると思う。常世というのは永遠に変わらない神域を指すわけだが、哲学的に言うのならイデア界である。イデア、つまり永遠不変の実在が存在する世界。そしてそれに対して現世はイデア界に対応し、現象界となる。私たちは現世であり、現象界に存在している。
ここで知覚と認識について書きたい。
知覚と認識は「気付き」から始まる。
二つのリンゴがあったとしよう。大きいリンゴと小さいリンゴだ。
3
あなたは「大きい」と「小さい」という相反する二つの概念はもちろん知っているだろう。これは二つで一つとして成り立っているわけである。二元論的な世界ではどちらか一方だけが存在することはできない。
りんごは二つあるわけだが、あなたはまだその大きさの違いに気付いていないとしよう。するとこの二つのリンゴは同じ大きさに見えているわけである。これは二つのリンゴの大きさの違いに「気付く」までの間ずっとそう見え続けるわけである。
あなたが気付いて初めて、大きいリンゴと小さいリンゴの違いが認識されるわけである。
次に認識の違い。
あなたとあなたの友人Aがいる。あなたはりんごの大きさの違いに既に気付いているが、友人Aはまだ気づいていないとする。そうすると、気付いているのと気付いていないのでは同じリンゴを見ているはずなのに、二人の認識しているものに差が出るわけである。あなたがりんごの大きさが違うことを教えるか、友人Aが自分から気付くまでは同じものを見ているようで見ていないと。ずっと気付かなければ友人の世界では永遠に同じ大きさのリンゴが存在し続けることになる。
次に個数の違い。
机の上にリンゴがいくつか並べられている。あなたが数えるとその個数は7個だった。そこに友人Aがきてリンゴを数えた。あなたは当然7個だと思うが、友人Aは8個あったといった。あなたはなぜだと思うだろう。答えは気付かなかったからだ。
そしてあなたは、机の下に落ちていた8個目のリンゴをみつけた。RPG風に。
そこに村人Bがきた。村人Bは数字を5までしか数えることができない。それ以上の数の概念は持ち合わせていないのだ。何度机の上のリンゴの数を数えても5としか言わない。5まで数えるとまた1に戻るのだ。
あなたと村人Bの見えている世界は同じなのかどうか?
同じかもしれないし、同じじゃないのかもしれない。その後、あなたの努力の甲斐があり、村人Bは8個までリンゴを数えることができるようになった。
机の下のリンゴの話を補足すると、必ずしも机の下である必要はない。
リンゴは二つあるが、あなたはには一つしか見えていなかった場合。つまり2つ目に気付けなかった場合。あとから二つあることに気付いたのだ。この場合、気付くまでの間はあなたの目には一つのリンゴしか映っていないことになる。ここにもういっこあるやんけと。
次に目線の違い。
上に貼ってあったりんごの画像の中には何個のリンゴがみえるだろうか。
答えを言ってしまうと3である。一応、上の画像の横に3と答えを書いておいたのだけれど。
どうみても2個じゃないか。それも間違っていない。しかし、その二つのリンゴの後ろには一回り小さなリンゴが隠れていたのである。そしてそれは同じ方向から見続けることでは見えてこない。まあ、上のやつは画像だからどうみても実際には2つにしか見えないんだけどね。けどそこには3つめのリンゴが在るんだ!心眼でみてくれ。
そして方向だけではなく、高さによる目線の違い。平面(2次元)で見るのと、立体的(3次元)で見ること。そして高ければいいってもんでもない。高いが故に見えてこないものもある。そして、この世は多次元構造である。
次に、違いない。
上ではすべて、違いについて書いたが本来ならば違いなんてないということに気付くことである。二つは一つであると。これに気付くことはとても難しい。気付いても気付き続けることは容易ではない。
全てのものは主体と客体に分けられた一という概念である。
当然、私とあなたも一つである。同じ人間であり、同じ一である。
そこには上も下もない。
そして他人とは自分を映す鏡である。
困っている人がいたら無条件に助けてあげてほしい。
神域が存在するのかどうかという話に戻る。
この記事のNibraを読んでみてほしい。
人によって認識・知覚するものというのは異なる。上のリンゴの違いの話で書いたような、大きさや個数など目で判断でき、再認識できる範囲のものならまだ良いが、知覚できるもの全てで違いは生まれてくる。知覚の代表例として視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感とよばれるものがある。脳神経で見た場合には1から12までの神経で見ることができる。嗅神経、視神経、動眼神経、滑車神経、三叉神経、外転神経、顔面神経、内耳神経、舌咽神経、迷走神経、副神経、舌下神経。きっとこの12という数字にも意味があるのだと思うのだけれど、それは置いておく。そして第六感。この世は目に見えないもので溢れている。案外、お互いが気付かないだけでまったく見てるものが違くて、別世界に住んでいるなんてこともあり得るのかもしれない。考え方や目線一つで見える世界や現実までもが変わる。全部見えているし、全部聞こえているに決まっているだろという人もいるかもしれない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
心臓というのも不思議である。生まれた時から死ぬ時までずっと止まらずに動き続けているもの。感じる時と感じない時がある。聞こえる時と聞こえない時がある。
貴方には心臓がありますか?あるに決まっているだろと思うかもしれない。けど見たことないじゃん。じゃあどうやって生きるてるんだよ、とあなたは思うかもしれない。どうやって生きているんだろうね。あなたに心はありますか?あるよね。多分。
心臓の音ともまた少し違うが、カクテルパーティー効果というものがある。カクテルパーティ効果は音声の選択的聴取である。
そしてその音声の選択というのは無意識で行われ、必要な情報だけで再構成しているのだという。そしてこれは音声だけで起こるものでもないと。例えば、あなたが美少女と話していたとしてその会話に集中していたとしよう。そして完全に魅入ってしまっている場合には美少女しか目に入らない。視界にブス美がはいっていようが認識できないのである。まあこれは美人とブスというダメな例えだが、何にでも起こり得る。まあ車とかは見えといたほうが良いね。危ないから。
次に似たような感じのもの。例えば何か作業中に話しかけられたとしよう。相手は何か言っているんだけど、作業していたために聞いてなかったと。これはよくあることだと思う。え?なんて言ったの?と聞き返したとしよう。相手は聞いてなかったならいいよと言う。すると私の場合は相手が話した話の続きから話だすのである。すると相手は聞こえてたのかよとなるわけである。私はわざとえ?と聞き返す時と本当に聞いてなくてえ?という場合がある。おもしろいのが、自分で聞いてないと思ってえ?と聞いたのに聞こえていた場合である。なんだ聞こえていたのかと。
これについて考えた時にもう癖になっているんじゃないかと思った。授業中に本読んだりゲームしてたことによっても習慣になってたのかな。私は本を読むのが好きなのだが、読んでいる時に友達に話しかけられてもわざとフルシカトすることがよくあった。なるべく100パーセントで読みたいからなんだけど。しかし、私はまだ100パーセントで本を読んだことはない。剣豪さん曰く100パーセントで本を読んだ場合、ションベンを漏らすと。私はやっぱり人間が好き。垂れラーという言葉があるけど、人を超越しているよね。
上で書いたフルシカト。これは相手が友達であるという前提の上で成り立つわけだが。もちろん聞こえていて、必要があれば返答する。ここで思うのが当たり前だけど、聞こえていないのと聞いていないのではやっぱりちがうなと。ふと思ったけど私には礼節が足りないな。
日本には三猿というものがある。見ざる、聞かざる、言わざるという叡智である。そして孔子の論語にも「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」という言葉がある。論語を読むにあたって「60分で名著解読 論語」というのがオススメである。だいぶ前に買ったんだけどまだ読み終わっていない。読み終わってないのにオススメすんなよ。ごもっとも。あなたが「論語」を読みたいのなら、60分で名著解読 論語はお勧めできない。
画像を使った認識の違い。この画像には12個の点があるが、私は12個の点を同時に全部認識することもできるし、全部消すこともできる。
この画像の交点には12個の黒い点が描かれているが、全部同時に認識することはできない→マジだ… | COROBUZZ
私は本来人間というのは誰でも、全ての次元や事象を認識できるものだと考えている。しかし、それはNibraによって制限されていると。神域というのも私たちが通常の意識状態で認識できる次元より高いものなのかもしれない。というかそう思ってる。
そして神隠しには遭いやすい気質があるのだという。神経質というのは五感が鋭くなっている状態で、細かいことでも気になる。つまり気付きやすくなっている状態ということだ。そして子供というのは固定観念による縛りが少なく、文字通り多感である。知的障碍者というのは思考のプロセスが違かったりして見ているものが違うのかもしれない。というか、知的障害って言葉はなんか変だよね。基準を設けてそれより高くても低くても知的障害になるという。仮に地球上の人間が自分以外知的障碍者だった場合、相対的に自分が知的障碍者になるよね。みんな知的障碍者だよ。産後の肥立ちや精神的に不安定時期というのも上で書いた理由と似たようなものかな。
ワームホールが地上に在ったらという想像図。これは空間が歪んでいるわけだが、その歪みに気付かなかった場合どうみえるのか。きっと変わらない風景が見えるのだろう。そして知覚できないということは、通り抜けたり触ったりすることさえできないんじゃないかな。見たことないから知らないけど。
まあ、そんな感じであるんじゃないのかなポータル。
タートルズのもう一つの良かった点、影に徹する事とはなんなのかと、チームワークというところからな。そう考えると私はマイキーかな(笑)
次に映画館で観た映画、スーサイド・スクアッド。思ってたのと違かった。デッドショットのための映画かな!かっこよかった。軍の極秘施設とか言ってエシュロンも破壊してた。まあおもしろかったけど、お勧めはしないかな。
見てはないけどきっとX-MENの方が面白いと思う。見たい。
次に最近TSUTAYAで借りた映画。
「マインド・ゲーム」「白鯨との戦い」「21g」「インフィニ」「僕だけがいない街」「ネイチャー」「マネー・ショート 華麗なる大逆転」
最初にインフィニを見た。けど、なんかやばい気がして途中で見るのやめた。そしてネイチャーを見ることにした。めちゃくちゃ良かった。良すぎて泣いた。オススメの映画。
次からは見た順番覚えてないから適当。まず白鯨との闘い。これも良かった。捕鯨の文化とか人類の進歩など色々考えさせられた。白鯨という世界十大小説の一つがあるが、その小説をモデルにしたものではなく、白鯨のモデルになった捕鯨船エセックス号の事件をモデルにして作られたもの。今私たちが使っている石油の前にはオイルとして、クジラの油が使われていたのである。そしてそこにも利権というのは存在する。
インフィニは未来の話。なぜ途中で見るのやめたかというとバッドに入る予感がしたからである。あとでさいご内容としてはなかなか良かった。まあ「意識」を他の知的生物に奪われるのだが、自分とは何かとか生きるとは何なのかという問いとしては良い映画だとおもう。
次に21g。この映画は一つの心臓をめぐる人間ドラマだ。21gは魂の重さであるといわれているのだが、誰でもいつかその重さを失う。これはその21g、チョコレートバー一本の重さとは何なのか。生命とは何かについて考えさせる映画。
次に僕だけがいない町。これは漫画が原作。まあまあおもしろかった。映画だと思って借りたんだけどアニメだったからまだ続く。タイムリープもの。
これは友達にお勧めされたから見てみた。細部に隠された意味があって良かった。話の内容としては、リーマンショックがなぜ引き起こされたのかということを主軸に置いている。投資家というのはいったい何をしているのか、一般的に成功者と呼ばれるような人はどんな考えを持っているかということが分かると思う。この世はシステム化されているわけだが、そのシステムのほんの一部を見ることもできる。おもしろかった。けど今の時代、主流になってきているのはアルゴリズム取引だよね。人間じゃなくてコンピュータが取引すると。そのうち人身売買とかもコンピュータがするかもね。自動で。
最後にマインド・ゲーム。ホフマン博士と相性が良いということなので借りてきて見てみた。ストーリーは主人公の西が面白くない死に方をしてしまうところから始まる(私の中では)。そして死んだ後の世界で神様に会う。その神様というのも何か良い。神というのはやっぱり人によって思い描くものは違うと思う。まあ、それが原因で現実には戦争している人たちもいるんだけど。マインド・ゲームに出てくる神様は一定の形をとらない。これは手塚治虫の漫画「火の鳥」に出てくる不死鳥みたいなものなのかと思う。すごいマンガという括りならこの漫画は最高といえる。そして映画、マインド・ゲームはギャグが好きな人か悩んでいる人こそ見るべきかなと思う。クジラの腹の中。
シーボルト展の話に戻る。国立歴史民俗博物館というぐらいだからシーボルト以外の展示もたくさんある。民族の中でもアイヌ、時代では縄文とかが今は興味がある。書くのはまた今度にするけど。
イルミナティカードの話を一つ。
【随時更新】イルミナティカード全まとめと解説【現在551枚】 - NAVER まとめ
NEW WORLD ORDER Bigger Business
明確に出ていませんが、おそらく世界最大の食品流通会社「Sysco」ではないかと。
と上のサイトでは書かれている。
Sysco Corporation 上で書かれている通りアメリカのテキサス州の食品会社。
そして次の動画を見てほしい。
Pep Talk ― ペップ トーク (60 秒バージョン) - YouTube
この動画は私がYoutubeで音楽を聴きながらこの記事を書いていたら偶然流れた広告だ。普段なら広告なんて聞き流すんだけど、これはなんか気になった。良い意味で。それでもう一回動画を見るとCiscoとなっているわけである。シスコ。なんか聞いたことあるなと。そして動画の最後の「すごいところまできていますよ」というのでああイルミナティカードでなんか見たんだと思いだした。そこで確認してみるとカードの文字はSyscoだからCiscoじゃないんだ、ハズレかと。しかし、このカードはBigger Business.
どちらが儲けているんだろうと。Wikiから。
Public | |
Traded as | NASDAQ: CSCO Dow Jones Industrial Average Component S&P 500 Component NASDAQ-100 Component |
Industry | Networking equipment |
Founded | December 1984 San Francisco, California, U.S. |
Founders | Leonard Bosack Sandy Lerner |
Headquarters | San Jose, California, U.S.[1] |
Coordinates | Coordinates: 37.4106394°N 121.958166°W |
Area served
|
Worldwide |
Key people
|
John Chambers (Executive Chairman) Chuck Robbins (CEO) |
Products | Networking Device Network Management Cisco IOS and NX-OS Software Interface and Module Optical networking Storage area networks Wireless, Telepresence, VOIP, Security Datacenter List of Cisco Products |
Revenue | US$49.24 billion (2016)[2] |
US$12.66 billion (2016)[2] | |
US$10.73 billion (2016)[2] | |
Total assets | US$121.6 billion (2016)[2] |
Total equity | US$63.58 billion (2016)[2] |
Number of employees
|
71,883 (2016)[3] |
Subsidiaries | List of acquisitions |
Website | Cisco |
Public | |
Traded as | NYSE: SYY S&P 500 Component |
Industry | Wholesale |
Founded | 1969 |
Headquarters | 1390 Enclave Parkway, Houston, Texas, U.S. |
Key people
|
William J. DeLaney III, CEO Jackie L. Ward, Chairman |
Services | Food-service, food-away-from-home |
Revenue | US$44.41 Billion (FY 2013)[1] |
US$1.66 Billion (FY 2013)[1] | |
US$992 Million (FY 2013)[1] | |
Total assets | US$12.67 Billion (FY 2013)[2] |
Total equity | US$5.91 Billion (FY 2013)[2] |
Number of employees
|
47,000 (2009) |
Slogan | Good things come from Sysco |
Website | www.sysco.com |
Syscoの方がデータは少し古いが歳入の多い方はCisco Systemsということになる。総資産でみてもCisco Systemsとなる。仮に近い未来、攻殻機動隊に出てくるような「電脳化」が実際に起こったとしよう。電脳化というのはマイクロマシン経由で脳と外部世界を直接接続する技術である。仮にそれが実現した場合に気を付けなければいけないのが電脳ハックである。これは電脳つまり脳みそをハッキングされ奪われるということ。そこで必要なのがセキュリティである。Cisco Systemsはコンピュータネットワークの機器開発会社であり、セキュリティ開発もしている。もし人間すべてがセキュリティソフトを脳に入れた場合、そしてそれがセキュリティでない何かであった場合、まあそれが意識に影響を及ぼすものならコントロールされることになるよね。ちなみに今現在はマイクロマシンより更に小さなナノマシンがもう既に存在する。これはもうウィルスみたいなものだよね。目に見えないわけだから、空から散布させられたとしてもみんな気付かない。
まあ、それが既に起こっていて私たちが気付かれない間にコントロールされてることなんてこともあるのかもしれない(笑)
これは上の方の記事で書いたトランセンデンスというのに近い。攻殻機動隊も同時にお勧めする。タイムリーなのが攻殻機動隊がハリウッドで実写映画化されるということだ。期待はしていないけれど、少し見たいかな。まあ、アニメの方を見ることをお勧めする。
「面白きこともなき人の世に」
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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次書くのはバイオショックコレクションの区切りが良くなったら!乞うご期待!笑