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自由とは何かと大麻少々

自分なりに適当に書いていく。

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 自由とは何か。これは人によって頭の中で思い描く自由というものは当然異なるだろうし、それが何かということを定義することはとても難しい。私にとっての自由でも、あなたにとって不自由ならばそれは本当の意味での自由ではないわけである。しかし、双方にとっての自由というものもどこかには存在するわけである。また、万人にとっての自由というものもあるだろう。「あなたが自由だと、私は自由ではない」という人もいるかもしれない。そういった人は自我が強すぎるため、本当の意味での自由を見つけることはできないであろう。私は真実を知ることこそが、自由へと繋がる道だと考える。

 

 辞書的な意味について。辞書というものも完璧ではないし、言葉や言語というものは欠陥だらけだと私はいつも思う。例えば「鳥」というものについて考えた時に、私の意味する鳥というものと、あなたが頭の中で思い描く鳥というものは同じかもしれないし、全く違うかもしれない。私は「今」ある鳥をイメージしたわけです。ヒントは黄色。まあそれはどうでもいいけど。人の持つイメージの違いというものは他の記事でも少し書いた。

http://plus-ultra.hatenablog.com/entry/2015/12/04/015630

ソシュールについて調べればシニフィエなどについては理解できると思う。

 「鳥」と一言で言っても、大きさ、翼の形、鳴き声など様々である。自由について書いているので、あなたのイメージした鳥というものは大空を飛んでいるかもしれない。その場合は「空を飛ぶ鳥」としても良いかもしれない。

 

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 しかし、空を飛ぶ鳥のイメージ、つまりシニフィエというものは共通ではないわけである。どちらの方向に飛んで行っているのか、高さはどのくらいかなど。「高さ1㍍をこちらに向かって飛ぶ鳥」としたときには飛び立とうとしているのか降りようとしているのかなどこれには終わりはないわけである。しかしどれも空を飛ぶ鳥でもあり、鳥でもあるわけだ。精神世界は、分かったと思えばそれは分かったのだろうし、理解できたと思えばそれは理解できたのでしょう。よく完全に悟ったや、アセンション完了とかいう人がいるが、私にはとてもそうは思えない。なぜならそれが意味することは、いつもどこにでもいて、いつもどこにもいない存在となると考えるからです。終わったと思えば終わりだろうし、それは終わってないかもしれない。矛盾を含む思考というものもこれからは必要になってくると思う。二律背反を理解するということである。

 言葉の話に戻ると、これは言語間でも起こるものである。例えば「海」というものは、英語では「Sea」や「Ocean」と表現される。シニフィエが二つあることになる。日本人にも辞書的な二つの違いは分かるかもしれない。私も分かったつもりでいる。しかし、そのSeaとOceanというもので連想されるものが果たして英語圏の人々と同じものなのかはわからない。ここからわかることは、世界というものはイメージから創造されていて、言語というものはそれを分かりやすく分けるための一つの方法に過ぎないということです。そして、これは何も「鳥」や「海」などの物質的なものだけでなく、言葉などの概念そのものにも言えるわけです。例えば私のよく使う「Cheers」という単語があります。辞書的な意味だとcheerの三人称単数現在。cheerの複数形。かっさい, 歓呼とされています。しかし「ありがとう」や「乾杯」という意味もあるわけです。実際に使うのはそっちのほうが多い。しかしどれもcheersなわけです。

 結局何が言いたかったのかというと、言葉というものはそれほど重要ではなくイメージや伝えたいという心のほうが大切だということです。意味が分からない人にはこの意味は分からないだろう。しかし、何となくわかったという人は、その「なんとなく」というものが私の伝えたかったものに一番近いということ。言葉は重要ではないというのは、言葉というものを不必要だといっているわけではありません。私の意思を「今」伝えているのも言葉であるし、言葉というものはイメージの助けになることもありますから。まあ言葉の必要性や美しさを重視するなら純文学でも読むことをお勧めします。そして、究極をいうと心こそ全てで、言葉というものは不必要なのだけれども。矛盾するようですが意味は何となく分かると思います。

 

  ちなみに、最初に私の意味した鳥は「チョコボ」でした。そんなこと分かっていたという人はレベルが高すぎるか頭がおかしいかのどちらかでしょう。文字から連想されるシニフィエクオリアというのは共通の経験などにより限りなく近づけることも可能だと私は思います。あなたがどこかで「鳥」という文字を見るだけで、チョコボをイメージするようになるかもしれません。

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 話が大幅にそれたので「自由」の辞書的な意味について。

 自由(じゆう、英: freedom, liberty)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。ここでもfreedomとlibertyという2つのシニフィエがあるわけだ。

他の意味としては、心のままであること、あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。哲学上は、人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく、それ以外の対象をも選びうる能力をいう。

 一つ目の意味では自己自身という「自分とは何か」ということも知らなければならない。一つ前の記事で「自分」というものは存在しないと書いた。しかし、究極は存在しないけれども、存在もするわけです。 自分は存在するとした場合には、自分とは何なのか。名前というものはただの記号にすぎません。記憶というものも、科学技術が進み記憶のデータ化や電脳化が可能になった場合には意味を持たないでしょう。自分と同じ名前や見た目、記憶などを持つ存在がいた時に「自分」を自分たらしめるアイデンティティーというのは何なのでしょうか。これについては長くなりそうなので他の機会に書きたいと思う。二つ目の意味のほうがどちらかというと重要である。共通していえることは「支配」からの脱却と「あるがままに」ということである。そして「選択性」というのも重要である。

 法律的な観点から自由というものを見た場合「人権」というものが挙げられる。これは人間が人間であるための権利であるが、本当の意味での「人間」の数は少ないと思う。獣を蔑視するわけではないが、獣性というか「本当に人間か」と疑うような心無きものが多いと感じる。動物でさえ心はある。人権というのは人間の精神的進化の歴史とも、ある意味ではいえるわけである。人権の中には自由権というものがある。自由権は精神、身体、経済活動の自由と3つに大別される。この中の「精神の自由」の中の「表現の自由」の中の「知る権利」というものに着目していきたい。どの権利ももちろん重要だが、知る権利というのはこれからもっと重視されるべきだと思う。知る権利というのは、国に情報の提供を求める権利(積極的自由)と国家の妨害を受けずに自由に情報を受取る権利(消極的自由)との二つがある。これはさっさと憲法に明記させたほうが良い。人間は知ることによって考えることができるわけだ。しかし国家の妨害などにより情報が秘匿された場合には、何も知らないので考えようもないわけである。自民党の新憲法草案では明記されていないわけだが、自民党が悪いということでもない。全体の意識のレベルというものがついてこれていないからこういう結果になるわけである。 今、私は支配されていないし自由だと考えている人はとても幸せかもしれません。しかし残念ながらそうではないし、あなたの感じる自由や幸福というものは偽りであるかもしれない。陰謀論というものもこれに似ている。空想だ、嘘だという人もいるだろうが、すべてが明らかになるまではどちらも想像の域を出ないわけで、真であるとも偽であるとも言えないわけである。まあ考える力がないからこそ嘘だとも言い切れるのかもしれない。

 

 自由意志について考えると長くなるので、書かないでおくが「マインドタイム」というものについて調べるのもオススメする。

 

 

 ここからは創作話を一つ。なんとなくイメージしつつ考えてみてほしい。

 

 

あなたは、大きな屋敷の中の大きな檻の中で飼われている「動物」としよう。

 

 

あなたはそのカギがついた檻から、生まれてから一度も出たことはない。

 

 

しかし、不思議なことに不自由というものを感じたことはない。なぜなら檻はとても広く、快適だからである。老齢の飼い主からきちんと毎日運ばれてくる食べ物は豪勢でありとてもおいしい。もしかすると、檻から出られるということをあなた自身知らないからこそ不自由を感じなかったのかもしれない。

 

 

そして、この檻の中で望むものはなんでも手に入る。おもちゃやお菓子などを欲望のままに手に入れるのもいいでしょう。番いがほしければ、それも手に入れることができます。もちろんその番いと子供を作ることもできるでしょう。

 

 

この檻の中では「生きる」ということにはまったく困らないわけである。

 

 

そしてある時、食べ物を持ってきた老齢の飼い主は檻のカギと扉を閉め忘れたわけである。

 

あなたの目の前には、カギの空いた扉があるわけだ。

 

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あなたは檻の外に出てみるだろうか。

 

出ないとした場合にはあなたの物語はそこで終わりである。幸せに、死ぬまで檻の中で暮らしましたとさ。

 

出るとした場合にはもう少し続く。

 

檻から出たあなたは「自由」というものを感じるかもしれない。

 

初めて歩く屋敷の中は「未知」であるが故に「恐怖」や「戸惑い」というものを感じるかもしれない。

 

しかし、存外楽しいものでもある。なぜなら檻から出たあなたは「好奇心」を持っているからである。

 

屋敷をさまよううちに、屋敷の外に出る扉をあなたは見つける。「庭」に出る扉である。

 

庭に出てみるか、屋敷に留まるか、檻に戻るかということもあなたの自由である。

 

庭に出てみると、初めて直接あたる太陽の光や、風というものがとても心地良い。

 

 

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広大な庭を散策するうちに、塀にたどり着く。どうやらこの庭は塀に囲まれているようである。

 

塀を辿っていくうちに門にたどり着く。

 

すると、遠くの後ろのほうから飼い主の呼ぶ声が聞こえるわけだ。「帰っておいで」と。私がどこにいるのかはまだ分かっていないようだ。

 

あなたは門から出ることもできるし、飼い主のもとに帰ることもできる。

 

それも、あなたの選択次第である。

 

飼い主のもとに帰ることを選択した場合には、温かく迎えられるかもしれないし、逃げたことに対する何かしらの罰を受けるかもしれない。それは帰ってみないとわからない。

 

門の外に出たあなたは「自由」や「世界」というものについてなんとなく理解できてきた気がする。それと同時に、知るということはとても素晴らしいことだと気付いたわけです。

 

 そしてもう一つ気付いたことがありました。あなたは「鳥」だったのです!!チョコボでない限りは飛ぶこともできるかもしれません。

 

旅に出るのもいいでしょう。思うがままに、あるがままに。

 

そしてある時、あなたは屋敷に戻ってみようと思うわけです。

この時には、あなたは「空飛ぶ鳥」になっていました。

遠くの土地から屋敷まで飛んでいくわけです。

 

屋敷につき檻のある部屋の窓を外からのぞいてみると、飼われていたのはどうやらあなただけではなかったようです。

 

そしてあなたは飼われるものに、問うわけです。

「自由が何か知っているか。」と

あるものは檻の中から俺が自由だといい、あるものは聞く耳を持たなかったり、あるものは自由という概念さえ持ち合わせていません。

 

飼われるものを見て、不憫に思ったあなたは「その檻の中では、望むものは何でも手に入る。檻のカギさえも。」と一言残し、仲間のもとに飛び去るわけです。

 

終わり。

 日本でなぜ自由を実感できないのか。http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/07/post-3803_1.php

 答えは、自由ではないからである。ないものを実感することはできない。この記事だと、アメリカは自由の国だみたいに、上げてるけど実際大したことない。アメリカは嫌いじゃないけど上げられてばっかりだと日本人は奴隷精神が染み付いてるから卑下するからアメリカ下げしとく。まあ、本当に大して自由じゃないんだけど。てかこの記事書いたやつ誰だよと思ってググったら変なの出てきて笑えた。

 

宇宙、異次元など世界はとてつもなく広い。今まで見たことがない世界というものを見ることは、何とも不思議で新鮮なものである。

 

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 知ることこそが自由に繋がる道である。自由とは知ることであるとも言えるかもしれない。知らない方が良かったということもあるという人がいるかもしれないが、それは単なるエゴであってそんなものは存在しない。あなたが受け入れられるかどうかの問題であって、自由とは関係ない。知る、知らないに関係なくそれは初めから存在する事実であり真実なのだから。知らない自由というものを主張するのなら、それは被支配を意味し、決して自由ではない。

 

イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルの言葉に

「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうが良い。同じく満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはそのものが自分の主張しかできないからである。」

という言葉がある。

 

これは精神的な快楽の質を重視するとともに、腹を満たすことなどの低俗な快楽で満足するのではなく、精神的な充実を求めるのこと方が重要ということである。そして、豚は豚だから豚語しか話せないという意味である。人間の言葉を喋れ豚野郎!と言う感じ。

ミルは東インド会社に入っていたからフリーメーソンとも何か関係があるかも。

私的にはこの画像がしっくりくる。真理に勝るものはない。

 

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  人間の数は増えてきているが、残念なことにこの世は豚と羊達で溢れている。だいたい豚とか羊はこんなブログは読まない。羊というのは豚に飼われている盲目の羊である。盲目の羊というのは、自分が気付いていないだけで実際は人間なわけである。目覚めれば良いだけなのだが、豚に飼われることが心地良いのか、目覚めようとしない羊も多い。それは自発的に気付くまでは誰にもどうにもできない。死んだ後に気付くのか、死ぬ間際に自分の人生が何だったのかを振り返るときに初めて考えるのかもしれない。

 

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最近のニュースなどについて。

 丸山議員の言葉狩りは少々気の毒でもあるし、そうでないとも言える。正直、とてもくだらない。オバマが奴隷の血を引くかどうかは知らないが、アメリカの歴史上黒人が奴隷として扱われていたことは事実であるし、黒人が初めて大統領になったことも事実である。アメリカがダイナミックな改革な変革をする国であるというのも事実である。オバマが奴隷とかどうでもいいから、日本はさっさとアメリカの奴隷やめろよと思う。

 

  大麻合法化についての論争も最近よく見る。これは私の意見だけど合法化しないという選択肢は国際的な観点から見ても100パーセントない。これは医療の面で見ても早いか遅いかくらいの差であることは周知の事実である。やるならさっさと合法化した方が良い。

 なぜかというと、搾取される立場というものから抜け出せないからである。合法化されるのが遅かった場合について考えてみる。まず、医療の面では当然搾取される。なぜかというと海外で大麻が合法化されてくると、大麻で治るような薬の生産量というのもは世界的に減るわけである。輸入物の薬というものは、大量生産するが故にコストは安くなっていたので、必然的に値段も上がるでしょう。薬というものについても考え物である。日本では平然と使われているような薬でも、海外では体に悪影響だとして使用が禁止されているものもある。特に糖尿病の薬は。私の親戚がフランスの保険会社で働いているので詳しいみたい。何らかの薬を服用している人は、その副作用についても一度調べたほうがいいかもしれない。

 大麻というものが認められてきたとして日本で栽培すること抜きでどこから手に入れるかというと、アメリカなどからの輸入になるだろう。質の良いものはもちろんアメリカ国内で流通する。そして、日本にはゴミみたいな質の悪い大麻が高値で輸入されると。そんなものを病気が治るからといってありがたがって吸うなんてほんと日本人素晴らしいよ。他にも合法化が遅れることのデメリットというのは考えられるけど、主に「金」に関するものである。まあみんなが搾取される国ジャポンのままでいいならそれも素敵だけど。大麻大国の見る影もないよ(笑)

 合法化反対派の意見を見ると、今まで大麻なしでやってきたんだから合法化しなくて良いじゃんというのをよく見る。この世界に日本という国しか存在しないのならそれも良いのかもしれない。

 大麻吸うと頭がおかしくなって犯罪を起こすと思ってる人もいるけど全くの逆。そんな気は起こらないし、そんなやつどこの国でも見たことない。みんなニコニコしてのんびりするだけ。まあ酒でもなんでも犯罪起こすやつは起こすし、起こさないやつは起こさない。これはゲームとかバイクにも言えることだけど、変なイメージがついているわけだ。犯罪を起こしやすかったり暴力的だみたいな。警察官でも政治家でも弁護士でも犯罪を起こすやつは起こすし、起こさないやつは起こさない。人は見た目や職業、趣味嗜好などで判断してはいけない。全ては「心」の問題である。

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 そして、大麻はお酒より依存性もないし、そんなに悪いものじゃないよと主張する人がいると、その人に「なに?大麻って普通は未知なもののはずなのに吸ったことあんの?やばくない?」みたいな頭の悪い人もよく見かける。普通とは何なのだろうか。お前の方がやばい。

 自分の経験したことが全てだと思っているし、住む世界がとても小さいのだろうと思うと可哀想になる。ちなみに、日本でも大麻に関しては喫煙することは犯罪でもなんでもない。所持はもちろん違法だけど。

 この辺も少し日本の法律は狂ってるなと思う。まあ、もしかすると大麻取締法が制定される中で誰かが日本が危機的状況になることに気付き、抜け道をあえて残したのかもしれないけど(笑)

 日本ではオリンピックも開催されるし、それまでにある程度合法化の動きが見られるなら日本の夜明けも近い。日本人こそ至高の民族なんだからさっさとそのことに気付いた方が良い。

 

日本とアメリカと戦争と大麻もよろしくぅううううう!!

http://plus-ultra.hatenablog.com/entry/2016/01/09/151158

 

神と宗教について書こうと思ってたけど次書こうかな。

読んでくれて、ありがとうございました。